
会津本郷町立本郷幼稚園(注1)のホールには、毎月園児たちのことばを記した
パネルが飾られます。
子どもたちの送り迎えにやって来たお母さんたちが気軽に立ち寄っては、
それを見ていかれます。
『ある日 水たまりで』
こうくん
「あれっ ここの水はあったかいぞ」
ひろちゃん
「だれかお湯をいれたんじゃないの」
かずくん
「ちがうよ おてんとうさまで石があったまって
その石に水がくっついたからあったかいんだべ」
(四歳)
この子どもたちの会話は五月のパネルですが、九月には次の会話が記されています。
『さむい朝に』
さっちゃん
「何で今日はこんなに寒いんだぁ
お母さんにきいてみてもわからない」
ちーちゃん
「ニュースにきいてもわかんない
テレビにきいてもわかんない」
さっちゃん
「せんせい さむいよ」
なっちゃん
「天気にきいてみよう」
さっちゃん
「わかった!ズボンはいてくるとよかったんだね」
(五歳)
これらの全く手垢のついていない言葉、まるで光の粒を綴ったような言葉は、
本郷幼稚園の八人の先生方で毎月発行しているリーフレット「あのね」に掲載されたものです。
「あのね」は子どものつぶやき、子どもたちの会話、先生からのメッセージ、お母さんからの
便りなどでうずまっていますが、どの行間からも季節の香りが吹き出しています。
そしてきちんとした児童観や郷土観がさわやかに伝わってくるのです。
『ねんどあそびから』
しょうくん
「まるいさいころができたよ」
りょうくん
「ころがってとまらないよね」
しょうくん
「あっ そうかやっぱり四角にしよう」
(四歳)
『ある日』
しゅうくん
「どろに草と砂と石をまぜたら何になるか実験したらね、
やっぱりどろのままだったよ」
(四歳)
『やきものつくりから』
てっちゃん
「なんだか ねん土のつちやわらかいなあ。
赤ちゃんのおなかみたいだあ
んだげんじょ、お肉にもにてるなあ」
(五歳)
※んだげんじょ…だけど
会津本郷は焼き物の町です。ほぼ二十社に及ぶ窯元があって、町をあげての陶器市や
陶祖祭が毎年行われています。
十年程前になりますが、本誌でも本郷中の生徒の作品で「焼き物の町」を特集した
ことがあります。
そんな町の成り立ちや生活が、園児たちの日々に生きているのでしょう。粘土遊びや、
焼き物作りの中で子どもたちは、キラキラするものを発見していくのです。(中略)
お母さんからの手紙 (「あのね」より抜粋)
八月十二日、NHKのクイズ、ゾクゾク妖怪伝を見ながら…“魂を抜きとられる”
という話から「たましいってなに」と訊かれる。父は「心だよ」と答えました。
「こころってなに」と娘。私は「何かを思うことかな」と。
今度は私が「心がなくなったらどうする」と訊くと
「恐ろしくなったり、いじわるしたり、怒ったりするんじゃない」と娘の答え。
そして続けて「こころって優しくなったり、お友達にお菓子を分けてあげたり、
何かをかしてって言われたら、いいよって言うこと」と言います。
「それじゃ、心はいっぱい持ってなくちゃなんないね」と私。
「そうだよ、こころは毎日使わなくっちゃならないんだよ」と娘。
「そうか、お母さんは心がなくなっちゃうから、子どもたちのこと怒っちゃうんだな。
気をつけなくちゃ」と私。
この日は主人と顔を見合わせて、子どもの考えにおどろかされました。
そして感心させられると同時に、忘れがちな日常の思いやりの大切さに気付かされた思いです。
「教育ではなく、共育へ」という言葉をしばしば耳にしますが、このお母さんの手紙もまた、
そのことを具体的に言っておられます。
そして青い窓三十五年の歩みも「子どもに学ぶ」の一言に尽きるのです。
「あのね」に掲げられた灯は、子どもたちの姿をありのままに映し出してくれますが、
このありのままの子ども像をとらえることこそ、子どもに関わる全ての出発点に
なるのではないでしょうか。
(平成四年 青い窓11月号に掲載)
注1 現在は会津美里町立本郷こども園
※ 再掲にあたり一部修正を加えました